2011年06月29日

空は晴れても

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心が折れてしまっている人に向かって、「がんばれ」とか「元気だせよ」とか「大きなお世話」だと思う。そーゆう人は大抵の場合、矢尽き刀折れボロ雑巾になるまで戦ったあげく、出せるもんは1ccも残ってない状態だからそーなってると思うんだが、いやたとえそーじゃなくても、他人のこころのことは自分にはわからないし、上から目線(だと思う)でそんな無神経な言葉をかけることは自分にはできないし、されたくもない。

気の毒だとは思うが、私は無能力者だ。手をさしのべることもできないのに、無責任な言葉だけ投げかけて済ますわけにはいかない。この3ヶ月、TVを観ていて本当にうんざりした。観なけりゃいいんだが。


たまたま先日、もう亡くなってしまったが日本のジャズ・フュージョン界の草分け的な存在だったキーボード奏者、深町純さんの映像を観ていた。それはイラク戦争だかの被災児のためのチャリティーライブの演奏だったのだが、演奏を始める前に、ふとこんなことを語り出した。


「実は、僕は音楽には人を救う力があるとは一度も思ったことはありません」

「もし音楽にそんな力があるなら、世の中に救いを求めてる人は、とっくに誰ひとりいなくなってるはず」

「それなのに、歴史の中で人はずっと救いを求め続けてます。ですから、ずっと音楽にも自分にもそんな力はないし、救済目的での演奏は極力避けていましたが、困っている人を助けたいという気持ちや、こういう場(チャリティー)があることは大変いいことだとも思っています。そんな考えの僕の音楽でよければ聴いてください」


みたいなことを言ってから、ひとりで即興でピアノを弾き始めたのだが、その演奏には氏の深い音楽への愛情が感じられた。


なんとなくその言葉に共感させられるものがあった。なんか薄っぺらくない気がする。音楽で人を救うことはできない。面白いツールであることは間違いないと思うんだが。一昨日もマグロを解体しながらの傍らでギターを好き勝手に弾きながらそう思った。待てよ。ってことは、自分の人生もやっぱり音楽やギターに救われているのだろうか?

どっちでも別にいいが、そんなことよりニウクリアカルテット関連のニュースももはや報道すらもされなくなってしまいたいへん不気味。しかし、仮になにか起こってたとしても、手をこまねいて見守るしかない私は、やはりどうしようもなく無能力者だ。
posted by 石井chan at 01:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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